生産者に聞く / #02 大久保醸造店様
淡口醤油 紫大尽
私は2002年に「ユーセー」を創業しました。「良い食品を消費者にお届けしたい。そのためには志を共にできる生産者との良好な関係が重要だ」との考えのもと、商品を吟味し、生産者と販売店をつなぐ架け橋になりたいと奮闘してまいりました。
一つひとつの商品には、生産者の熱い思いやこだわり、歴史など、珠玉のストーリーが積み重なっています。そんなつくり手の思いを当社は何より大切にしています。
ここでは、私が惚れ込んだ商品と、食への志を共にする生産者の皆様の思いをご紹介しています。
第二回は「大久保醸造店」さんの淡口 (うすくち) 醤油『紫大尽(むらさきだいじん)』です。

大久保醸造店(おおくぼじょうぞうてん)」3代目:大久保文靖さん(写真左)
インタビュアー:「ユーセー」代表取締役・小倉 正人
― 大久保醸造店との出会いについて
きっかけは大阪の豆腐つゆ
感動の淡口醤油との出会い
出会いはかれこれ30年以上前。
前職でサラリーマンとして全国を飛び回っていた私は、大阪の豆腐屋で非常に美味しい豆腐つゆと出会いました。その味の決め手として使われていたのが大久保醸造店の淡口醤油「紫大尽(むらさきだいじん)」でした。
すぐさま豆腐屋の主人に頼み込み、長野県松本市の大久保醸造店を紹介していただきました。初めて醤油を味見した時の感動は、今でも鮮明に覚えています。
淡口醤油「紫大尽」はしっかりとした塩味の奥に感じられるまろやかな旨味。これまで出会ったことのない醤油でした。

会長の大久保文靖さん。抜群の記憶力と雄弁な話術で長時間のインタビューにご対応いただきました。
当時から京都や東京の名店で使用されていた人気の品。どうしても扱いたいとお願いしたところ、3代目・大久保文靖会長(以下、会長)から「とりあえず3年ほど待ってくれ」と言われました。
需要拡大に対応するため、新たに仕込み用の木桶を増設。当社への卸しもその一環として実現したのです。
それから私は半年に一度のペースで松本市を訪ね、ご挨拶を重ねました。そのたびに長野の美味しい蕎麦屋さんに連れて行ってもらったり、夕飯にお招きいただいたりと、毎回あたたかく迎えていただきました。
2002年に「ユーセー」を立ち上げた後も、今日に至るまで変わらぬご縁が続いています。
― 大久保醸造店について
創業120年の老舗醸造店の
歴史とこだわりとは
大久保醸造店は明治38年創業の老舗。
戦後の混乱期、2代目である会長のお父様が兵役から戻られたときは、原料も人手もなく、ゼロからの再スタートだったそうです。
当時は食料難から、醤油にアミノ酸液などを加えた化学的な混合醸造醤油が主流に。そんな中「戦前の醤油はこんなんじゃなかった。もっといい色でいい香りがした」という2代目の言葉が、会長の胸にずっとひっかかっていたそうです。それが添加物や保存料を一切使わない、天然醸造の醤油造りへ進むきっかけでした。
原材料についても大きな契機がありました。
昭和33年以降、国産小麦が手に入らなくなり、外国産の小麦で醤油づくりを行っていた会長は、あるとき、埼玉県のとある筋から打診され、サイロに10トンの小麦を購入。8月のお盆前に仕込みを終えてから1週間後、サイロにはコクゾウムシがワサワサたかっていて驚いたそうです。
「当時は“ポストハーベスト”という言葉も知らなくてね。外国産*¹を使っていたので小麦には虫がたからないもんだと思ってた。でも、よく考えたらさ、虫すら寄り付かない小麦はどうなんだって、さ」
(*¹当時(昭和33年)の状況を反映した表現であり、すべての外国産を指すものではありません。)
現在、大久保醸造店の醤油や味噌の原料は、契約農家の大豆や小麦を中心に、国産の等級品ばかり。塩は沖縄のシママースを使っています。また、仕込むための水は敷地内で浄水したアルカリイオン水。醤油だけでなく、生活に使う水すべてを浄水して使っています。使用者が安心して口にできる原材料を使う、というのは会長にとって“当たり前”のことなのです。

年月を経て外側は錆びついた水道管。しかし内側には錆が見られない。これは、水道水が管を通る前にしっかりと浄水処理されているためである。
― こだわりの製法について
微生物に最善の環境を整備
同業者も学びに訪れる蔵とは
大久保醸造店の蔵は3階建て。最上階で大豆を洗浄・ 蒸したら、それを2階の麹室へと落とします。ここで種付け*2をして醤油麹にしたら、1階の木桶へ落とすと同時に移送するのです。
(*2麹菌を原料に付着させる工程のこと)
醤油の熟成に欠かせない木桶が並ぶ様子は昔ながらですが、重力による物質の移動を利用した余分なエネルギーを使わない省エネ設計の工場内はシステマチックで驚くほど効率的です。

「自分がやりたくない重労働は、他人にもさせたくないやろ」と、カラッと笑う会長。
木桶の内側と外側には会長自ら漆を塗り、蔵の壁や床には45トンもの炭を埋め込むことで、湿気がこもらないよう工夫されています。そうやって、醤油を醸す微生物の 働きやすい環境と職人技が共存する蔵づくりがなされています。

理にかなった効率的な仕組みが至る所に施されている蔵。その仕組みを考案した会長は「何も難しいことはしていない。原理原則に従えば当たり前のこと。」と話す。
「ワインやウィスキーと一緒で、醸造ものにはしっかりと時間をかけることが必要。2代目の“醤油は味1年、香り2年、色3年”という言葉を思い出して造ったのが「紫歌仙(むらさきかせん)」なんや」
コストを重視し、1年未満の短期間で製造される醤油が主流となっている今日、大久保醸造店の濃口醤油「紫歌仙」はなんと3年もの長期熟成を経て出荷されます。
小皿に垂らしたときの美しい赤褐色。食欲をそそる芳醇な香りと力強い旨味に加え、3年という時間で“塩なれ”させたまろやかさ。
調味料はご当地によって嗜好性が異なるのが一般的なのですが、この「紫歌仙」も「紫大尽」同様、全国津々浦々で首を長くして納品を待ち望むファンがいるほどの逸品なのです。

― 大久保醸造店の醤油について
食の一流たちが認めた味
ブランド発祥のきっかけ
昭和50年前半、銀座赤坂の高級懐石店で食事した会長は、お土産に自ら造った淡口醤油「紫大尽(むらさきだいじん)」を持参。味見した料理長は初対面にも関わらず、その醤油を即採用しました。
そして、その年の年末から、1200本の淡口醤油「紫大尽」を歳暮として東京や京都のお得意先に配ったそう。
「あの後やね。『料理長から貰った醤油がほしい』と、いろんな人から電話注文が入るようになったんわ」
超一流の料理人や料理評論家、蕎麦名人など、名だたる方々の間で評判が広がり、今では大勢のお弟子さんたちの多くが大久保醸造店の醤油を愛用しています。
私が「ユーセー」を創業し、大久保醸造店の醤油を取り扱わせていただけたことは、かけがえのない誇りです。
「あの醤油を扱っている会社なら」と、信頼を寄せてくださる取引先も少なくありません。
「俺は何もこだわっているわけじゃねんだ。当たり前のことをしているだけなんだ」
大久保会長が口癖のようにおっしゃる“当たり前”の醤油づくり。
安心できる国産の原材料を使い、微生物がしっかり働ける環境のために毎日隅々まで清掃し、焦らずじっくりと機を熟すのを待つ。
時間や利益追求に追われる現代社会で、この当たり前を実践し続けられることがどれほど尊いことか、私は訪問するたびにしみじみと感動させられるのです。

「ユーセー」代表取締役・小倉 正人



